Travel Incidents

"旅に出る"理由は"あの時、旅に出た"理由を見つけるため…そのために僕らは今日も旅に出る…

今日、僕は夢を叶えようと思った。

 

今日も当たり前のように昼を過ぎてから目覚め、特に何をするでもないまま、ベッドの上でのパソコンいじりに精を出す。窓外に流れるホタルのヒカリを聞いて、初めて日が沈みかけていることに気付き、『また何もせずに一日が終わってしまった……。』とつかの間の脳内反省会を開く。どうせ寝てしまえば、全部忘れてしまうのに…

 

 

そんな無機質な日々を過ごしていると、時間の感覚を完全に失ってしまう。この生活において時間や曜日、年号、日付などはさほど重要ではないからであろう。同じように繰り返される毎日は既視感の連続で新発見や新たな刺激などは皆無に等しい。だからこそ、奇跡的に震えるスマートフォンや突如として鳴り響くインターフォンの音の一つ一つに、僕らは惨めなほどに怯え、情けないほどにキョドるのだろう。到底、長年の怠惰がしみ込んだ体には些細な日常のちょっとしたイレギュラーな出来事に対して、フランス紳士のような落ち着いた対応ができるはずもなく。

 

 

毎日何かを始めなければ…と思いつつ、無情にも流れていく時間に逆らう気力もなく、ただただ無用な焦燥感だけが積もっていく。しかしながらこれといった策もやる気もないままに寿命を無慈悲に消費していくのだろう・・・・

 

 

そうしてしっかりと無残な孤独死を遂げ、晴れて無縁仏となる自分自身の将来の姿が奇妙なほど現実を帯びてきたときに初めて思うのだろうか。

「あの時はよかったな...」と。

 

 

 

 

 

 

こんなことをだらしなく考えている間に、一つ思い出したことがある。

それは僕が20歳を過ぎて初めて行ったBARきれいなスーツに身を包んだご老人がいた。とてもきれいな白髪に黒いスーツが良く似合う、Mr.ダンディズムであった。

 

「僕もあんな大人になりたい。」

 

彼の姿はおそらく人々が憧れる理想のおじいさん像であったから、その場にいた多くの人がそう思ったに違いない。実際、彼の一挙手一投足に羨望の眼差しを向けていた人は少なくなかったし、僕の隣のテーブルの30代のOLコンビなんかは尋常ではないほどの熱量を彼に向けていた。

 

 

そんな彼が大事そうにボロボロでキッタないノートをおもむろに懐から取り出した。この店の雰囲気から明らかに浮いているからなのか、それともそのノート自身が奇妙なオーラを放っているからなのかは分からない。店とその男性の雰囲気が完全に一致しており、そこから醸し出された世界観は何となく近寄りがたいムードに包まれていた。しかし『スタイリッシュな男性が、おしゃれなBarで意味ありげな汚いノートを取り出す』というその状況にひどく興奮したと同時に強い興味を魅かれたからだろうか。

いつもはシャイでコミュ障な僕が(それが証拠にこのBARにも一人で来ている)

次の瞬間には、自分からその男性に話しかけていた。

挨拶もそこそこにノートの話題に入る。

 

僕「そのノートは大切なものなんですか?」

老人「うん。私にとってはね。」

僕「といいますと?」

 

老人「これは私が若いころから書き溜めた’’やりたいことリスト’’なんだ。でも私が若いころに結婚したせいもあって、仕事に追われてね。このリストに書いてることの8割以上、まだ出来てないんだ。」

 

 

自分の人生についてこんなどこの馬の骨とも分からぬ若者に話してくれるご老人に僕は恋をしそうになる。この胸の高鳴りはまさか…と呆けている間に話はどんどん進んでいく。しかし、ご老人の神妙な面持ちを見るとスキップで地雷を踏んだのではと思わずにはいられない。緊迫したムードに合わせるように胸の鼓動が早くなる。

 

 

老人「ほとんどやりたいことを出来ないまま気が付いたら定年の年がすぐ近くまで迫ってきていた。私はすごく落ち込んだよ。まだやりたかったことが山のように残っているのにってね。だから私は定年して仕事が無くなったら、一気に全部やってしまおうと思っていたんだ。誰だって後悔なく死にたいじゃないか。」

 

 

 

 

老人「でも実際に定年を迎えてみると寂しいもんでね。やりたいことは山のようにあるのに定年したら何もしたくなくなってしまった。何をやっても面白くないんだ。何の感動もないんだよ。若き日の自分があんなにもやりたかったはずなのに。」

 

 

 

 

老人「今だから思うけど、やりたいことはやりたいと思ったその瞬間に取り組むべきだったんだな。まさか時が経つにつれて自分の好きなことですら興味が無くなり、心の底から楽しめなくなるなんて思ってもみなかった。私はすごく後悔しているよ。今はもう心も体も自分の思い通りにならない。今はもう全部は叶えてやれない。でも若い日の私がたくさんの情熱と夢をかけて書いたこのリストを捨ててしまう事だけはできなかった。なんかそうすると過去の自分を否定してしまう気がしたんだ。」

 

 

 

ご老人の話を聞いているうちに僕はなぜか涙ぐんでいた。お酒が回ってきたのかも分からない。

 

 

やりたいことは山のようにあるのに定年したら何もしたくなくなってしまった

 

 

こんな切ないことがあるか。やりたいことがないと平気で宣う若者が増加の一途にある中、まさかやりたいことができなくなる事があるなんて。その時の僕にはすごくそれが恐怖で、それ以来上記の言葉が僕の人生の教訓になっている。

 

 

 

 

 

今まで無機質な毎日の中で徐々に忘れ去られていったあのどこかの老人の言葉が唐突に思い出された。今の自分の毎日は怠惰を極めた無機質なものだ。何を学ぶわけでもなく、何を生み出すこともなく。生産性とはかけ離れた日々をこれからも送り、時間感覚すらまともではないまま、この先もただ冷酷に寿命を消費してくのか。

 

 

ベッドの上で考えた。答えなどすぐにでる。

 

 

もちろんそんな生活はNoに決まっている。

 

 

 

 

ならばどうするのか。ご老人は言っていた。

『やりたいことはやりたいと思ったその瞬間に取り組むべきだった』と。

 

 

 

僕のやりたかったこと。

 

 

 

 

それはーーー                …………留学。

 

 

 

 

 

 

大学生時代にやりたかったことの一つに留学がある。

あの頃の僕にはコンサルタントになりたいという夢があった。その夢の実現のために必死に考えて英語留学をして、英語を学生のうちに使えるようになっておこうというしっかりとした目標があったにも関わらず、しかしそれらは’’面倒くさい’’や’’時間がない’’などの至極ありきたりな言葉でもって後回しにされ、気付いたころにはすでに大学を卒業していたし、あの時の情熱と共にどこかに消え失せてしまっていた。

 

 

そして’’面倒くさい’’や’’時間がない’’という状況を免罪符にして、面倒ごとから逃げ続ける生活を送ってきてしまったせいで、特に自分の友人たちや後輩たちに熱く語れることを持たぬうちに早くも大人になってしまった。とても切なく悲しい大人になってしまった。

それは小さいころ、『こんな惨めな人生を送りたくない』と笑ったあるドキュメンタリー番組に出ていた人のそれが今ここにある。

 

 

初めて心の底から「変わりたい!!」と思った。

 

 

 

 

「まだ間に合うかもしれない。」と、ただ一縷の望みにかけてみよう。

今度は逃げない。何事からも。

 

 

 

 

 

そう静かに決心をして、僕は急いでベッドから体勢を起こす体中の関節が‘’パキッ’’と鳴った。

そして勢いをそのままに運動不足の体でパスポートの発行に向かう。

 

 

 

今の気持ちが覚めないうちに…

 

 

 

 

今日、僕は夢を叶えようと思った。